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数字はアートか?
これは突拍子もない問いかもしれない。
数字は極めてロジカルで便宜的で、無味乾燥であって、そこには魂を吹き込むこともできないし、血も温度も、実体すらもない。およそ芸術とは程遠いものに思える。
私自身、高校生の頃に文系理系を選択する頃からずっと、数字は理系、芸術は文系と、無意識に境界線を引いて生きてきた。
しかし、そんな考え方は、宮島達男氏の作品に出会ってから変わってしまった。
宮島達男:
現代アーティスト。LEDを用いて1から9までの数字を表示する、デジタルカウンターを使った作品で有名。
宮島作品との出会い:森美術館「カタストロフと美術のちから」展
きっかけは、「カタストロフと美術のちから」という森美術館の企画展だった。
artinspirations.hatenablog.com
その企画展の中に、宮島氏の「時の海-東北」という作品が展示されていた。
暗闇の中に浮かび上がる緑色の数字の光が、静謐な空間を作り出し、まるで教会に佇んでいるような、静かで、祈りのような気持ちに包まれた。
ただ数字が光って暗闇に散っているだけなのに、まるでその数のひとつひとつが何かを意味しているかのようで、神秘的で、ただただ美しかった。
その作品の印象が、ふわふわと私の心の奥底に浮かんだまま消えなかった。
再会:東京都現代美術館 コレクション展
それからしばらく経ち、今年の夏、リニューアル後に久しぶりに訪れた東京都現代美術館で、また宮島氏の作品と対峙した。
コレクション展の最後に、デジタルカウンターが無数に並べられた真っ赤な盤があった。
ひとつひとつのカウンターには、赤い数字が1から9まで順番に表示されていくが、それぞれのカウンターの速度は異なっている。
急速にカウントしていく数字の繰り返しを、振り子を見るようにじっと観察したり。
ゆっくりと慎重に数を数えていくカウンターを、息をつめて見守ったり。
あちこちのカウンターに目をやっては、そうやって随分長いこと、ソファに座ってその作品を眺めていたら、またあの静謐な気持ちが広がっていた。
この作品について、美術館のスタッフブログから引用すると、解説にはこんな言葉が書かれている。
カウンターひとつひとつを個人に、その集合体である全体を組織とみる事も出来るし、
また世界の国々と地球、地球と宇宙、あるいは細胞と個体というように
さまざまなものの部分と全体をこの作品にみることができる
開館20周年記念 MOTコレクション特別企画 クロニクル1995- | スタッフブログ | 東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
この作品で気づいたのは、数字は、きわめて精神世界に近いということだった。
かたちから解放され、記号化された世界の構造。
ミクロもマクロも、すべての構造を表してしまうもの。
1から9までのただの数字のカウンターには、宇宙の摂理を封じ込めた、気が遠くなるほど深い井戸があった。
それはまるで、禅の世界のような、瞑想に近い静謐さだった。
美術館を出る頃には、私の心の中には、なんだかとても広々とした無限の空間ができてしまっていた。
宮島作品が現代人を魅了する理由:千葉市美術館「宮島達男 クロニクル 1995-2020」
そして、つい先日、千葉市美術館で宮島達男氏の個展が開かれていることを知り、私は心の隅にできてしまった不思議な空間を再び見つめるべく、この企画展に足を運んだ。
作品はどれも、数字、数字、数字。
展示を見ていくうちに、目に見えているものとは違うなにかを感じ始める。
それはきっと、便宜的な数字という記号の向こうに広がる、形而上的な概念の世界だ。
デジタルカウンターを使った作品群は、最後の展示室の中に集められている。
「Life(Ku-wall)-no.6」という作品は、仏教の「空(くう)」をテーマにしたもので、そこからはやはり壮大な世界が見てとれる。
浮かんでは消えるランダムな数字は、まるで自然界の命の所在のようだ。
一瞬で死に到達し消えゆく命もあれば、長くゆっくりと息づく命もある。
数字に表象された命が、消えては生まれ、世界の様相を成していく。
もしも、目の見えない人に命の所在が分かるとしたら、その世界はもしかしたらこんなふうに見えるのだろうか。それは、命の本質と時だけを見つめる、神の視座にも近い。
チラチラと変わりゆく数字の点滅が命の輝きだとするなら、最後に訪れる無は「死」を意味する。
(宮島氏の作品では、ゼロは用いられず、代わりにカウンターの光がなくなり暗転する)
しかし、真っ暗な死の暗闇は、不思議と恐怖はなく、静けさに満ちた、満たされた空白にさえ感じられる。
再び1からカウントが始まることを私たちが知っているがゆえに、新たな命の始まりの予兆が感じられるからだろうか。
無へと向かってカウントダウンする数字は、死へ時を刻むと同時に、生へのカウントダウンでもあるのかもしれない。
さらにひときわ目を引くのが、展示室の最後にある「地の天」という作品だ。
展示室は暗闇に包まれ、静けさが漂っている。
大きな円形のプールのような器の底に、青く淡い光を放つ数字がちりばめられたその作品は、その名の通り、まるで地上の井戸に星空が落ちてきたようだ。
静寂に包まれた暗闇の中に、輝く数字がぼうっと浮かび上がるさまは、海底から湧き上がってくる命の始まりのようにも、燃え尽きた命が肉体から離れ、最後に行きつく終焉の世界にも見える。
穏やかで、哀しいほどに美しい。
形を持たずに漂う霊、誰かが大事に秘めた思い出、この世界の人々が灯した切なる祈り――
ただ淡々と数字を刻み続ける光の数は、幾重にも折り重なった、命と心の風景だった。
数字とは何か?
数字とは記号であり、抽象的な概念を表象化したものであり、天地も空間もない、きわめて精神的でミニマルなものだ。
しかし、ミニマルで形を持たないがゆえに、数字は無限の意味を包括する。
無から誕生し膨張を続けていく宇宙。
その中に、生まれては燃えて消えていく命。
時を刻み、死と生を繰り返す世界の在り様。
時間の始まりは、生命の息吹きだ。
芸術とは程遠い、冷たいものだと思っていた数字は、むしろ心も命も表現してしまう、無限大のアートの器だった。
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【参考】森美術館「STARS展」でも宮島作品に会える!
森美術館で開催されているSTARS展にも、宮島達男氏の作品が展示されている模様。私も早く行かなければ…!
関連書籍
<おまけ>
少し系統は異なりますが、もし見えない人が命の所在を見ることができたら…という発想は、この本から来た着想でした。
目の見えない方は、モノや世界を星座のようにとらえている、といったエピソードがあり、とても印象に残っています。
障がい者福祉の観点ではなく、「自分と異なる視点から世界を見る」ことの楽しさや、アートにつながる世界の広がりを感じられる、とてもワクワクする本。
ぜひこちらも読んでみてください!
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