オディロン・ルドン―光の夢、影の輝き|研究者のまなざし
今週末で会期終了間近のルドン展に、滑り込みで行ってきた。
ちなみに、行きがけの電車で予約チケットを買おうとしたら、まさかの週末まで完売、
ダメ元で飛び込み受付したところ、整理券を頂けてなんとか無事に入館できました・・・(よかった・・・)
ルドンを初めてちゃんと知ったのは、2018年の三菱一号館美術館で開催された「ルドン:秘密の花園」展だった。
そのときに、学生時代に美術の教科書で見て強烈に印象に残っていた、一つ目の巨人『キュクロプス』を描いた画家が、ルドンだと知った。
ファンタジックで、少し不気味で、でも神話的で、寓話的でもあって。
一言で魅力を言い表すのが難しい、魅惑的なルドンの世界に、今回の展覧会でよりいっそうハマってしまった。
個人的にルドンで好きなのはモノクロの作品なのだが、展覧会の絵も、この「闇」や「黒」が大半を占める。
例えば、冒頭に展示されている『光』という作品はとても示唆的で、暗い室内と、大きな窓から差し込む光の対比が目を引く。
ちょうど室内から巨人を眺めるような構図で、光の中に大きな人間の横顔が描かれていて、その横顔は思案にふけっているようにも、何かを憂えているようにも、慈悲深い神さまのようにも見える。
あるいは、『守護天使』という作品は、儚げなモノクロ色調の中に、天使が人間に寄り添う美しい構図が描かれる。それは幸福なようにも、また同時に悲愴に満ちているようにも感じられる。
(ちなみに、人間の横顔はその他の作品でも多く見られる表現だった。「横顔」というものは、見る者を意識しない内省の表情を備えているせいか、どの作品の横顔にも不思議と神々しさが漂い、より多くを語る気がして魅入ってしまう)

これらモノクロの作品群を眺めていると、私の心には、しんと静けさが染み渡った。
誰もいない、気が遠くなるほど広大な石の回廊の中に、一人佇んでいるような。
静謐さと、神秘と、孤独と、幸福と恐怖と悲哀とがない交ぜになったような。
そんなひっそりとした静けさを感じるのだ。
また、『夢のなかで』シリーズや『起源』シリーズにも見られるように、
植物学と神話をかけあわせたような幻想的な表現も、非常にユニークで、強烈な印象を残す作品群だろう。
一見シュルレアリスムのようでもあるが、少し違う。
言葉でどうしても的確に言い表せないのがもどかしいのだが、
謎をかきたてる「違和感」と「静けさ」を巧みに操る独特の表現は、デ・キリコや、エドワード・ゴーリーにも共通する魅力があるように思う。
こういった類の作品は、言葉で説明しようとするよりも、ただじっと眺めて、頭の中で思考を巡らせて楽しむほうが、より深く鑑賞できるのかもしれない。
名前のついていない「何か」を感じ取る感性を、開かれるような心地がした。
そして、ルドンの代表的作品といえば、やはり「眼」と「顔のついた植物」だろう。
私は見ていないのだが、聞くところによると、アニメ「惡の華」でもルドンの目玉のモチーフが用いられたようで、
ルドンの「眼」にまつわる作品は、見る者の想像をかきたてる魅惑的なものばかりだ。

今回のルドン展で展示されていたこちらの作品では、
よく見ると、気球に扮した巨大な目玉は、かごに頭を乗せて上昇しようとしている。
視線はぐんと上を向き、一方で頭は無感情で虚ろな表情で控えめに座っている。
様々な解釈ができそうな面白い作品だが、私には、人間の探求心の化身のようにも感じられた。
時にモラルを逸脱してまで高みを目指そうとする底の無い探求心の不気味さと恐ろしさ、それでいて、純粋で無邪気な好奇心を原動力とする、人間の奇妙な性が、コミカルに表されているようにも感じた。
もう一つ、「顔のついた植物」のモチーフも、非常に含蓄のある作品が多い。
特に印象的だったのは『沼の花』だ。
モノクロで暗い沼の風景の真ん中に、大きな人間の顔をした黒い花がうなだれるように咲いている。表情は暗く物思いに沈んだよう。背景には、白い鳥が遠くで飛び回っている。
この作品にも静けさが満ちているが、ここでの静けさは、少し神秘的な静謐さとは違って、どろどろと暗い印象を受ける。
沼というタイトルから連想すると、私には、沼という、神々しさ・純粋さ・美しさとは対極にある暗い場所に生まれてしまった、植物の運命の憂いのように見えた。
暗い沼で動けない植物の運命とは対照的に、背後では、白い鳥たちが自由に飛び回っている。
もし花に顔があったなら、なるほどこの作品のような、虚しさや悲しさ、諦念の入り混じった複雑な表情を浮かべるかもしれない。
終盤にかけて展示されている晩年の作品群は、うってかわって、淡い色彩に満ちた美しい作品ばかりだった。

「闇」をテーマにした時代が、精神的な思考に没頭するような、緻密な幻想世界だったとするなら、
晩年の「光」の時代は、夢を見ている時に近い、もっと感覚的で、曖昧さを受容する大らかさをもった、自由な幻想世界といったところだろうか。
満ち足りた幸福な夢から目覚めたような不思議な気持ちで、展覧会の出口を出ることになった。
まとまりのない感想になってしまったが、
展覧会を通じて、ルドンの作品について、共通する何かを語るのは難しい。
各時代の表現、ひとつひとつの作品が、どれも示唆に富んでいて、それぞれが独自の思想を無言で語るようなものばかりだ。
それは、絵画表現への探求を重ねるアーティストというよりはむしろ、論文を書く研究者のようにも感じられる。
植物学者や文学者と親しかったというのも理由の一つなのだろうが、その少しアカデミックな気配のするルドンの眼差しは、ルノワールやドラクロワ、ピカソといったいわゆる美の巨匠たちとは、一味違う面白さがある。
研究成果物を一つ一つ丁寧に読んでみたいと思わせる、知的な刺激を私たちに提供してくれるルドン。
私はもう完全に彼のファンになってしまった。
番外編。「蜘蛛」が、絶妙にコミカルでかわいかった。。

***
余談ですが、鑑賞しながら「これは画集絶対買う!」と決めたのに、画集も完売・・・
行きたい展覧会は会期開始すぐに行かねばと反省したのでした。涙
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