Art Inspirations

素人作家のメモ箱

アートと活字を愛するアマチュア作家が運営するブログ。

ジャンルを超えて、広義の「アート」から得た様々なインスピレーションやアイデアを文章で表現していきます。
絵画、彫刻、インスタレーション、音楽、ダンス、デザイン、ファッション、建築などなど。





ワールド・クラスルーム―現代アートの国語・算数・理科・社会|大人にアートが必要な理由

私が好きな美術館トップ3の中に入る美術館のひとつが、森美術館

常設展示を持たず、企画展に特化した美術館としてはさすがというべきか、毎回企画展がものすごく面白い!

特に、現代アートや建築に強い印象があって、私の好みドンピシャの美術館なのだ。

www.mori.art.museum

 

ということで、今回は、

会期中の企画展「ワールド・クラスルーム―現代アートの国語・算数・理科・社会」と、

同ビルの東京シティビューで開催されている「ヘザウィック・スタジオ展―共感する建築」にハシゴしてきた。

www.mori.art.museum

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・・・とはいえ、正直なところ、ピカソなどのいわゆる巨匠たちの作品展とは違って、森美術館現代アート展はいつも感想を書くのが難しい。

メモはとったし写真も撮ったけれど、作品を目の当たりしながら感じ、考えるというプロセスを経なければ、特に伝わりにくいのが現代アートだ。

 

なので、今回は簡単に、面白いと感じた作品とメモだけ記録しておこうと思う。

 

***

 

■スーザン・ヒラー「ロスト・アンド・ファウンド

絶滅した、あるいはしかけている希少な言語を話す声だけが流れ続け、その声の周波数を表す線図だけが揺れ動く動画。

もし言語がありながら、誰もそれを理解できなかったら?

それはただの音でしかなくなり、意味を付帯しない記号としての言語が表出してくる。

とともに、音に意味付けすることの不思議さを味わい、記号と音楽と言語の境界線が曖昧になっていく感覚が面白い。

 

畠山直哉陸前高田」シリーズ

被災地のしんとした静謐な海を前に、一人たたずむ男性は、何を思うのか。

復興の過程を思わせる黄色いクレーン車の群れと、その手前に咲き誇る黄色の野花。

地に根差す様々な生の在り方を考えさせられる。

 

■アラヤー・ラートチャムルンスック「授業」

声なき死体に向かって、死についての講義を垂れ続ける動画。

私は解説とはちょっと違った印象を持ったので、感じ方の違いが興味深い作品かも。

死者に死とはなにかを語り掛ける行為を、故人への寄り添いや関係構築ととるか、あるいは空虚な無意味さを感じるか。

死というものは必ず存在する確かなものなのに、その解釈は実に多様で不確定かなのが、人間の面白いところ。

 

李禹煥(リ・ウファン)「関係項」「対話」

ガラス板の上にぽつんと置かれた岩。河原や山にあれば何とも思わないかもしれない、何の変哲もない岩が、ガラスの上に孤立して置かれることで、モノとしての存在を強烈に放ってくる。人工の無機質なガラスと、土気や微生物、自然の気の遠くなるような歴史を身にまとった岩とが、圧倒的な対比をもって存在する。

さらにその向こうにある「対話」という絵画との対比も面白い。

モノとしてはカンバスに色素を塗ったものでしかない絵画と、無言で存在を主張する岩。

言語化できない不思議な感覚にとらわれてしばらく抜け出せなかった。

 

■宮島達男「Innumerable Life/Buddha CCIƆƆ-01」

個人的にファンなので言わずもがな。この人の作品は、やっぱり「世界」そのものなんだよなぁ。語り始めるときりがないのでこちらを参考に。

artinspirations.hatenablog.com

 

奈良美智「Miss Moonlight」

今回はこれが一番刺さった。

この表情を見ていると、心が丸裸にされるようで。

描かれた子供は、世界にじっと耳を澄ませているようにも見えるし、その心は現にあらず、夢を見ているようにも見える。

多彩に入り乱れる髪のほのかな色の粒を眺めていると、夢見る人の、「心」という謎に満ちた神秘的な美しさに思いは馳せていく。

今まで大人になって、世界をただ受け止めて目を閉じる、そんなひとときがただ一瞬でもあっただろうか?よく五感を澄ませると、世界はとても豊かなのに。

この絵を前にしばらく佇んでいたら、そんなことを思い、なぜだかじんと、子供のころの美しかった世界の感覚が思いおこされて、温かいような、少し寂しいような、静謐な気持ちになった。

なんの関係もないけれど、世界は美しいなあと、ふと思った。

そんな祈りのような美しい作品だった。

 

杉本博司「観念の形」

数学の理論を形状化したさまざまな数理模型。

数学という形而上的な概念の極みのようなものが、具現化されて目の前に並ぶと、ものすごく不思議な心地。

数学も、実は唯物論的なところからきているのかしら?人間の脳が考え出す理論は、しょせんは自然原理の域を出ない、造形できるものなのかしら?形を説明するための理論にすぎないのかしら?理論から新たな造形が生まれることがあるのかしら?

こういう宇宙的・哲学的な思考実験はゾクゾクしてたのしい。

 

■瀬戸桃子「プラネットΣ」

マクロな宇宙とミクロな生物世界が重なることで、生命の神秘が強調される。

命とは、生きものが持つ身体とは、その造形とは、死とは?

個人的には、菌類好きなので、微小な菌類が菌糸をしゅわしゅわしゅわと枝分かれさせて伸ばしていく映像がツボでした(笑)

生命体って、ふしぎ。

 

***

 

今回はメモの羅列になってしまったけれど、この企画展を見終えたあとに感じたのは、世界認識がぐらぐらする感覚。

この感覚を、忘れてはいけない、といつも思う。

 

アートの最大の強みは、非言語のままでいられるということだ。

現代アートは、現代に浮遊している言語化されないままの粗雑な世界をぶつけてくる。

それはなんと呼んでいいかわからないけれど、私たちがいま生きているこの時代、この世界に、たしかにあるような気がする何か。感情かもしれないし、群衆社会が織り成すとらえどころのない文化かもしれないし、哲学かもしれない。名前のつかない何か。

それを感じ取るアンテナを、ときどきチューニングするのに必要なのが美術館、だと思っている。

 

大人になった私たちは、いつしか、言語化され、説明がつけられ、意味付けされたものだけを世界として受け取るようになった。

本当は不確かなのに、世界は確かなものだと思って生活している。

子供の頃に見えていた世界は、もっと不確かで予想不能で、説明できないぐにゃぐにゃきらきらざわざわしたもので満ちていたはずなのに。

その「間(あわい)」を、そのまま受け取ることを面倒がって、無いものとしてしまう。

本当はその「間(あわい)」こそに、世界の美しさがあるはずなのに。

 

曖昧なもの、間にあるもの、説明できないもの、ただそこにぼんやりと在るようなないようなものを、そのまま直接受けとれる感性の器を、アートは養ってくれる気がする。

 

大人にこそ、アートは必要なのだ。

 

 

***

同時開催中のヘザウィック・スタジオ展も、遊び心のある有機的な建築が印象的でした。

感情や生命など、人間という生き物的な要素を排除した無機的な建築よりも、こういう息をするような建築が好みだなあ。

人が生きものらしく、創造的に、感情的になれる空間が設計されれば、その器である建築も、生きている、と言える気がします。

建築も奥が深い。

 

***

 

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