昨日は、大雪による混雑で長時間ホームで待たされ、凍えながらやっとの思いで帰宅した。
あまりの寒さにろくに景色も楽しめなかったのが悔しく、温かい家の中から外を覗いてみたら、見事な雪景色だった。
しんしんと降る雪は、雨と違って音を立てない。
家屋も木々も、落ちてくる雪に埋もれていきながら、身動きひとつせず押し黙っている。
いつもなら夜道にコツコツと響き渡る人の足音も、
きし、きし、と雪を踏みしめて、
あるいは、さく、さく、と固まった雪溜まりにかかとを突き立てて、
静寂が壊れない程度の控えめな音を立てて歩き去っていく。
そしてまた、しんと静まり返る。
南国育ちで、雪のある風景を五感で感じ慣れていない私にとって、その音の風景は何だか現実離れしていて、夢を見るような心地でその静寂に浸った。
雪の降る風景の中に入りこむと、なぜかいつも、音について考える。
私のお気に入りの『蟲師』という漫画があって、その第二話「柔らかい角」を連想するからかもしれない。
『蟲師』の世界では、菌類や微生物よりも下等で、「生命の原生体そのものに近いもの達」のことを蟲(むし)と呼んでいる。
蟲が引き起こす現象は、奇々怪々で、幽霊や妖怪の類のようでもあるが、自然そのものが起こす超現象のことを広く示唆しているような節もあり、不快なおどろおどろしさはない。
人間が語りつくせない自然や生命の不思議を、分かりやすく具現化したものと言ってもいいかもしれない。
そんな蟲にまつわる小話を集めたシリーズなのだが、「柔らかい角」というエピソードでは、音に関わる蟲が登場する。
舞台は、雪深い山奥の村。
主人公の蟲師は、そこで起こった不可解な病を調査するべく、村を訪れる。
その冒頭の会話から、一部を引用したい。
…このような雪の晩には物音ひとつしなくなり、話し声すら消えてしまう事もあるといいます。
そしてそういう時、耳を病んでしまう者が出るのです。
(蟲師(1) 「柔らかい角」p64 村長の台詞)
…これが音を喰ってるんです。普通森の中に棲息する蟲ですが、雪は音を吸収する。だから音を求めて里へ下りてきたんでしょう。
(蟲師(1)「柔らかい角」p66 ギンコの台詞)
雪が降り積もり、音を吸い取る。深い静寂のなかに長く居ると、人間の耳は病む。
この現象を、「音を喰う蟲」という可視的なものに昇華することで巧みに表現している。
タイトルの「柔らかい角」の意味や、蟲の寄生を解く鍵が、これまた大変に情緒豊かで、自然への畏敬と生命への丁寧な眼差しがとても愛情深く、語りだせばいくらでも語れるのだが…
ともかく、雪の風景を聴覚で感じ取る感受性の豊かさに感服したのと、見慣れぬ雪がもたらす「無音状態」への好奇心とで、この小話が、今でも強烈に記憶に残っているのだ。
だから、ひとたび雪景色のなかに閉じ込められると、私は半ば胸を高鳴らせながら、息をひそめ、沈黙の音に耳を澄ませる。
もしも、夜が更け、電車が終電を迎え、道路から車がいなくなり、人通りもまばらになり、店もすべて締まって、鳥や動物の物音さえもしなくなったら、世界はどうなるのだろう?
その世界は、うつくしいだろうか。
それとも、おそろしいだろうか。
その答えは、いずれを取っても正解な気がする。
音もなくしんしんと降る雪は、喧しい人間を押し隠し、自然の静寂の音を呼び覚ます。
かつては当たり前のようにはびこっていたであろう世界の沈黙を前にしたら、人間はきっと、その茫漠とした巨大な静けさに恐怖を感じるだろう。
しかしその景色は、今や失われてしまった無音の風景は、きっと、息をのむほど美しいに違いない。
***
「柔らかい角」以外にも、雪にまつわる話がたくさんあります。
個人的には、「春と嘯く」(第四巻)と「冬の底」(第八巻)がオススメ。
各話に出てくる蟲のネーミングも、とても粋で、日本語の美しさに気付かされます。
『蟲師』シリーズは、アニメ化もされています。
色づけられた風景がこれまた素晴らしい。音楽も静かで幻想的で、とても美しいです。
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