推敲も終わり、長編をついに完成させてから途端に気が抜けて、サボっていたらいつの間にか4月になってしまった。
桜も満開。
ということで、先日、友人と六本木に夜桜を見に行った。
桜を見てお酒でもひっかけて、屋内のレストランでのんびり食事でもしようか、というくらいの気持ちだったのだが、見事な桜が咲き誇る東京ミッドタウンの真ん中で、偶然にも、巨大なインスタレーションに遭遇するという嬉しい出来事があった。
ライトアップされた満開の桜並木を抜けた先に、富士山を模した小高い山が突如出現し、そこに、プロジェクションマッピングで様々に表現された「日本」が映し出される。
その名も『江戸富士』。
都心の摩天楼と光り輝く東京タワーが遠くに見え、手前の桜並木に彩られて、壮大な日本の美が立ち現れるさまは、まさに圧巻だった。
偶然発見するまでは全然知らなかったのだが、ネイキッドというクリエイティブチームが創作したものらしい。チームラボにもちょっと似たデジタルアートという感じで、都会的な六本木の桜並木に大変よく似合っていた。
もし美術館の中にこのインスタレーションがあったならば、そこまで印象に残らなかったかもしれない。
が、何だかこの日の夜は、家に帰ってからも、この六本木の江戸富士と桜がしばらく頭から離れなかった。
そのくらい、痺れるほどかっこよかったのだ。
都心のビルの谷間に、精悍と咲き誇る夜桜。その向こうに、光に彩られた江戸富士。そしてそのさらに向こうには、こうこうと赤く光る東京タワー。
東京に住み始めてもう結構経つのだが、まさに「東京」という都市を象徴するような自然とデジタルの演出に、いたく感激してしまった。
実は白状すると、私はもともと、桜という木はこれといって好きというわけではなかった。
もちろん綺麗だとは思うのだけれど、川沿いや山間に優しく咲き、淡い色の花びらをはらはらと散らせる、儚く可憐な木というイメージが先行して、そのちょっと女々しい弱さみたいなものが何だか釈然としなかったのだ。
ましてや、富士山と桜の付け合わせとなると、大変行儀よく、高尚で伝統を重んじる貴族的で保守的な感じがして、ちょっと居心地が悪かったりもする。
が、六本木の桜と江戸富士のおかげで、私はようやくその認識を改めることができたような気がするのだ。
人工のビル群の中にも桜は咲く。
それどころか、それらのビルを後ろに従えて凛々しく立ち並ぶ姿は、堂々としていて、洗練されていて、かっこいい。
伝統を重んじ守り続けることはもちろん大事だし、それはそれでよいけれど、デジタル化してますます都会的になっていくクールな東京にも、富士山と桜はしっかり似合う。
それを証明した六本木のインスタレーションは、何だか都会に生きる私たちに勇気を与えてくれる気がした。
『春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、
紫だちたる雲の細くたなびきたる。』
春の夜明けは都会にも来る。
白んでいく都心のビル群が少しずつ明るくなって、霞がかった花曇りの空がひっそりと明けてくる。
その景色の中に凛然と咲く桜並木を想像したら、何だか背筋がシャキッとする思いがする。
都心で働く皆さん、明日も背筋伸ばしてまいりましょう。