実はわたくし、特技は文章を書くことだけれども、本当は絵を描くことに憧れています。
しかも、アートが好きなくせに、本業は全然関係のないシステムエンジニアをやっています。
こんな支離滅裂な人間なので、時々自分の「できること」「したいこと」「向いていること」がごちゃごちゃになってしまうことが度々ある。
ので、今回は僭越ながら、自分の頭の中を整理してみたいと思う。
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どうやら私の頭は元来、どちらかというと感覚的なことが得意らしい。
小説を書くときも、最初に物語があるのではなくて、いつも思いつくのは漠然としたイメージが始まりで、大概それは絵画的であることが多い。
例えば、「極彩色でサイケデリックな、激しい色づかいのイメージ」とか、「ノスタルジックな雰囲気で、セピアな色調の中にすうっと爽やかな水色の線が入っているような感じ」とか。
時々その情景に加えて、断片的な言葉や台詞、たまに音楽も合わさっていたりもする。
一度脳の働きを調べてみたいものだが、なんとなく、感性を司る左脳をより使っている気がしている。
(小説を書くのだから、言語を司る右脳もちゃんと駆使しないとマズイ気はするけど。)
じゃあ絵を描いたり映画を作る方がいいんじゃないの?と自分でも思うが、残念ながら、そっちはからきし才能がない。
時々絵の真似事をしてみることもあるが、結局、頭の中に浮かんでいる絵が全然上手いこと紙の上に出てきてくれないので、もやもやして消化不良になって辞めてしまう。
でも、慣れない絵を諦めて、馴染みの執筆作業に戻ってみると、
「案外、何かをつくる行為って、論理的なんだなあ」と改めて気づく。
頭の中のイメージを感性に従って自由に描いてみても、そもそも絵の基本も知らないから思うようにいかないし、全体の構図を決めてからでないと絵としては成り立たない。
色合いだって、例えば爽やかな色調にしたいというイメージはあっても、その雰囲気を漂わせるためにはきっと青や緑や白だけではだめで、細部には赤や茶色や黒だって使う場合もあるだろう。
建築に例えるともっと分かりやすい。
サグラダファミリアやノイシュバンシュタイン城だって、アイデアだけで美しい建造物を作れるはずもない。
①全体像のコンセプトを決めて、②設計して、③どこから作るかプランをスケジュールを立てて、④どういう素材で作るかを決めて…
と、極めてロジカルだ。
そう考えると、アートをつくるということは、
「感性に基づく芸術的なものを、ロジカルに組み立てる」
という行為に近いのかもしれない。
言い換えるならば、
「芸術脳でゴールを描き、それをロジカル脳で形にする」
ということ。
だから、本当は絵が描きたいけど文章しか書けない私でも、やっていることの根幹は広く言えば同じなのかもしれなくて、そう考えると何だか自信が湧いてくる。
小説も、
①どんな話が書きたいかを決めて、
②全体の構成や章立てを決めて、
③各章の物語の流れを細分化して、
④各シーンを表現するのにどんな言葉を使うか考えて、
➄書き終わったら推敲する
と、その実は文学的でも情緒的でもなんでもなく、ロジカルに組立てていく作業だ。
さらに、本業のシステムエンジニアの仕事でも、
①要件定義→②基本設計→③詳細設計→④実装→➄テスト
と、不思議と似ている。
自分の憧れるものと、今の自分ができることが、すうっとひとつにまとまっていく感覚。
こういうことに気づくと、じんわり嬉しい。
アートへの憧れと、特技の執筆と、本業の仕事。
一見脈絡がないように見えて、実は共通項もたくさんありそうだ。
これから、もっとどんどん影響し合っていくといいなあ。
楽しみだなあ。