六本木の森美術館で開催されている「未来と芸術展」へ行ってきた。
2018年に開催された「建築の日本展」とも通じる部分もあり、森美術館の集大成のようにも感じられる企画展だった。
特に、人の暮らしや文化を形作る都市・建築の可能性に大きくスポットが当てられているあたり、まさに森美術館の真骨頂といったところ。
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それもそのはず、今回の企画展の着想は、「メタボリズム建築」にあるという。
展覧会冒頭の館長のお言葉をそのまま引用させて頂くと、
1960年代に日本人建築家たちが提唱した『新陳代謝し成長持続する都市』の概念は、世界の都市論の発展に大きく貢献しました。
そして、今もし、高度に発達した情報処理技術やバイオ技術を援用したら、メタボリズム都市は実現可能だろうか、という問いが、本展の出発点となりました。
今回の企画展は、これらがキーワードになっている。
「未来と芸術展」で提起されている未来へのイメージは、一貫して、より有機的なものへと移行してきているようだ。
ひと昔前の未来のイメージといえば、電子回路が張り巡らされ、メカニックで四角くて、ストイックで無機質な冷たいイメージではなかっただろうか。
それが今や、スマートシティやスマートハウス、AI、バイオテクノロジーといった言葉に表れているように、生き物のように思考し人間の生活に合わせて流動する、より柔らかく温度を帯びたイメージになっている。
展示物を通して、近未来は「無機物が有機物化した世界」である可能性に改めて気づかされる。
例えば、今回の企画展で大きくフォーカスされている建築の領域では、モジュール型海洋都市のプロトタイプをはじめとして、レゴブロックのように組みなおされては再構築される、ダイナミックに「変容」する建築の未来が試みられている。
そのきわめて流動的なシステムは、分裂して増殖したり、結合して多様な器官を形成する、動植物の「細胞」を思わせる。
さらに、資源や廃棄物など、持続可能な都市を目指そうとするアプローチは、まさに、循環する自然の生態系(エコシステム)の再現にほかならない。
まるで近未来の都市そのものが、学習して思考して成長し、エコシステムのなかでエネルギーを消化して排泄して再生する、一つの巨大な生命体のようなものに見えてくる。
無機物で構成された建造物やインフラの集合体でしかなかった都市が、自ら生命のように運動し、活動する有機物的なものに変容しつつあるのだ。
それはバイオ素材の「生きた」人工物にも表現されている。
内部の人とシンクロして呼吸する家屋。
菌糸と木材が融合し、息吹く家具。
キノコのように白いものを表出し、角のない動物的な構造をしたそれらのモノは、一見気味の悪いものに見えるが、その気味悪さは、「生きた人工物」を抵抗なく受け入れてしまえるかもしれない可能性の裏返しとも言える。
「生きた人工物」という、本来は明らかに矛盾を孕んだ言葉だが(人工物が文字通り生きていたらそれはもはや生命の創造にほかならない)、その体感的なイメージは、私たちは既に容易に想像することができる。
現に、愛玩ロボットのように目も口もついているわけではない、ごく機能的なお掃除ロボットに愛着を覚えたり、うまく作動しない機械に「機嫌が悪い」という擬人法を使ったりすることの延長に、「生きた人工物」との思想的共存の先駆けがあるようにも思えてくる。
機械が作られ始めた発明の黎明期には、人の暮らしを便利にするただの道具としての機械に感情移入するなんて、きっと想像もしなかったはずなのだから。
家具が息をし、人が家と対話する未来も、そのうち未来とは気づかずに現実になっていくのかもしれない。
これまでいかにも機能的だった人工物が、よりソフトに、ある種の「温度」を持つようになる。
この未来像のシフトを、「球体」という作品がうまく象徴化している。
作品の解説から引用すると、
《球体》は、地球を愛する人たちのための鏡であり、SF愛好者のための新しい惑星であり、旅行者の道しるべであり、パーティー好きの人たちのための巨大なミラーボールである。
なるほど確かに、球体というかたちは、メタリックな色合いはきわめて人工的・非自然的でありながら、丸みを帯びていることで不思議と生命的な親近感や神秘、裏返せば気味悪さや不可解さを感じ取ることができる。
家屋、ビル、扉、窓、テーブル、箱、携帯電話、家電、コンピュータ――。
人類が、自ら創造した四角い無機質なものに囲まれて暮らし始めてからもう長い。
ヒトが、角のとれた曲線的な、言い換えるならば有機的なフォルムを求め始めていることは、心理的な面からみても大変興味深い。
そういえば、近年に制作されたスターウォーズシリーズの新たな“愛らしい”ロボットが、どことなく箱型に近かったR2-D2から、ころころと球状の体を転がして滑らかに動き回るBB-8へ、より曲線的な造形になったのも、なんだか偶然ではないような気がしてくる。
未来像をつきつめると、蠢く生命体のような有機的なイメージにたどりつく。
この逆説は面白い。
胸を張って機械化を進めてきた人間が、いま生命や自然を模擬的に繰り返そうとするのは、ヒトがやはり自然の産物だからか、あるいは、人類の罪悪感からくる原状回復の願望なのか。
たとえばもし、人類の生活が、持続可能な循環型システムに完全に移行したら、地球の生態系は原始へ戻っていくのだろうか。
ヒトは動植物を殺さずに培養肉のみを摂取し、生態系を邪魔しないバイオ素材の道具を用い、再生可能エネルギーを循環して使い続け、資源に頼らず自己再生する都市に住む。
その光景は、自然との共存へ立ち戻ったとも言える明るい未来だ。
しかし同時に、人類がついに「人工の自然」、つまり人類が原始の自然に介入せずに生存していくためのもう一つのエコシステムを創造してしまう空恐ろしさも感じる。
まるで地球の表面にもう一つの地球を生み出してしまったかのような、宙に浮いた自然。
そのとき、都市は、社会は、どうなるのだろう。
そして、人間はどこへ行くのだろう。
海や空にも新たな居住空間を構築して、原始の自然に触れない神のような静かさで、地球に生き続けるのか。
自然を模造して人工のエコシステムを再起させ、共存し、疑似的な「自然回帰」を果たすのか。
はたまた、地球の資源に頼る必要もなくなったとき、ヒトは別の星へ移住し、ついに地球史上「絶滅」するのか。
想像をより先の未来へと延長させていけばいくほど、人間とは何か、生命とは何か、根源的な問いにぶつかる瞬間が訪れる。
この途方もない思考の遊びが、とんでもなくおもしろいのだ。
「未来と芸術展」は、3/29まで。
大げさに言うと、この企画展を見ておくのとそうでないのとでは、いつか未来が現実になったときの感じ方がまるで違うはず。笑
ぜひ足を運んでみてください!
***
「無機物の有機物化」という視点で、これまで時代を攫ってきたSF作品を振り返ってみるのも面白い。そこにはやはり共通した未来イメージがあることに気づくことができる。
伊藤計劃のSF小説『ハーモニー』では、ビルはまさに息づくように活動しているし、遊具は子供の動きにあわせて血肉を通わせた腕のようにその安全を守る。
映画『メッセージ』(原作はテッド・チャンのSF小説『あなたの人生の物語』)に登場する宇宙船は、メカニックとは程遠い、美しい曲線を描いている。
いわずと知れたSFアニメ「エヴァンゲリオン」シリーズでも、乗り手はただボタンやハンドルで機械を動かすのではなく、神経接続を通してあたかも自己の延長であるかのように「有機的な」巨大な武器を動かす。またその舞台である町そのものも、まるで山が動くように建造物が起伏することで、要塞都市の役割を担っている。その様相はメタボリズム建築の思想に通ずると言えなくもない。
また、ちょっと飛躍かもしれないが、最近話題になったビジネス書『ティール組織』では、組織そのものが生き物のように流動的に動く、生命体のような次世代の組織論が提唱されている。このようなジャンルを超えた思想のシンクロも興味深い。
そのほか、『星を継ぐもの』や『大きな鳥にさらわれないよう』は、人間とは何か?人間はどこへいくのか?を考えさせるSF小説だ。このあたりも改めて読み返したい。
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