Art Inspirations

素人作家のメモ箱

アートと活字を愛する作家の卵が運営するブログ。

ジャンルを超えて、広義の「アート」から得た様々なインスピレーションやアイデアを文章で表現していきます。
絵画、彫刻、インスタレーション、音楽、ダンス、デザイン、ファッション、建築などなど。


物語の在庫|日常に生じた「溝」をキャッチする

 

『表現のたね』という本を読んだ。

作家でありミュージシャンでもあり、自称”日常編集家”だというアサダワタルさんの著書である。

この本を買ったのはもう二ヶ月以上も前で、ブックイベントに初めて足を運び、本屋さんとの楽しい会話につられてついつい買ってしまったものだ。

本屋さんが露店くらいのスペースを使って本を出品し、訪れた人は、フリーマーケットのような気分で色んな店を回り、本を手に取ったり本屋さんと会話したりする。

 

そのお店でも、私がタイトルに惹かれてこの本を手に取ると、ちょっとだけ興奮気味に「その本、あんまり書店には流通してないんですけど、すごくおすすめなんです」と声をかけてくださった。

とても率直で人の良さそうな、若い女性の店員さんが二人。

まだその場に慣れていなかった私は、曖昧な笑みを浮かべただけで黙ってしまったのだが、気を悪くする様子もなく、にこにこと本を選ぶ私を見守ってくれる。

一度はそそくさと別の店へ行ってしまったけれど、そのあとやっぱり気になってその店に戻り、「これください」と声をかけると、それはもう大喜びで、嬉々として「ありがとうございます!」と言って下さった。

お二人が「やったあ、売れたねえ」とほくほくした笑顔で仲良く顔を見合わせていた様子が何だかくすぐったくて、本を買うという、いつもは黙って一人でこなす行為がこんなに嬉しいことなのかと驚いて、その場面がずっと心に焼き付いていた。

だからこの本はちゃんと大事に読まなければいけない気がして、結局、機会がなくて何カ月も積読本のなかで熟成してしまっていたのである。

 

 

この『表現のたね』の帯には、こんなことばが書かれている。

流れ去る日常にばら蒔かれた、表現のたね。

私たちはそれを掬いとれるだろうか?

 

ドラマチックな感動秘話でもなく、手に汗握る物語でもなく、ためになる啓発本でもない。

ただ、流れゆく日常の中で、あまりにもささやかでふっと過ぎ去ってしまう何か、しかしどこかちょっとだけ非日常めいていて、大きな芸術や物語や表現に成長する可能性を秘めた何かを、膨らませるのでも磨くのでもなく「たね」のまま拾いあげた小話たち。

エッセイと呼ぶにはあまりに弱々しいそれらの文章が寄せ集まり、日常がまた日常のまま、読者の脳内に再上映される。

そして読後には、生活感丸出しの団地や公園を散歩したような、町の喫茶店で人通りを眺めて暇をつぶしたような、なんでもない出来事として自身の日常に紛れていってしまう。

本というより、仕方がないから日常をそのまま本という型にざーっと流し込んでぞんざいに棚に仕舞ったような、粗と味わいと愛おしさのあるアート作品だった。

 

読後の余韻を反芻しながら、アサダワタルさんが「表現のたね」と表現したものを、私は「物語が生まれるとっかかり」として自分のことばに読み替えてみる。

それはきっと、日常からほんの少しだけズレた、「溝」のようなものだ。

例えば、

少年が想像の中で遊ぶとき、多彩なフィールドに変化する家具。(「家具を鍛える」p67-75)

免許講習の日に意識される道端の些細なアクシデント。(「免許講習演劇」p84-85)

野宿生活で、天井のブルーシートを打つ雨音。(「ピンクフラミンゴが見えるあの小屋から」p155-156)

叩いてみて気づく、米の量で変化する炊飯器の音。(「炊飯の境目」p164-165)

皮膚科の待合室で意識される「肌を掻く」という行為。(「掻くこと」p166-169)

アーケードの下で傘を差す人や、電車を待つ行列に穴をあける人や、電車の車窓から差し込む細切れの光にチカチカと光る本。(「駅は育む」p187-193)

日常を映画にしてくださいと言われたら、きっと表現から漏れてしまうであろうちょっとしたイレギュラーや、無意識から意識の領域に引っ張り出すことで生まれてくる違和感。

それらの「溝」をキャッチできれば、きっと無限の表現ができるということなのだろう。

 

そう考えると、表現する人、何かを創り出す人にとって、生きている限り在庫は尽きない。

なぜなら、典型的な日常から逸脱せずに生きていく人はいないからだ。

そもそも日常というのは、毎日起こり得ることの多い出来事を、積み上げてならした平均値であって、私たちの暮らしそのものではない。

そのことに気付くと、毎日が「溝」だらけで、「表現のたね」で溢れかえっていることを発見し、息をのむ。

 

 

思えば、この本を手に取ったことだって、「溝」のようなものだ。

普段は、書店や古本屋で、口を閉ざして黙々と本を選んでいた私の日常。

それが、ブックマーケットに足を運び、本屋さんとの会話と思い出つきで本を買ったことで、「本を買う」という行為の定義がちょっとズレて、日常に溝ができた。

その溝の証であるこの本が、日常に生じた溝を「表現のたね」として意識させ、日常が密かに孕んでいる豊かな「物語のとっかかり」を私に授けてくれた。

この偶然の循環のようなものが、とても不思議で、とても嬉しい。

 

日常の中に散らばった「表現のたね」。

一生尽きない物語の在庫。

私は、掬いとれるだろうか。

 

 

***

Special thanks to:

素敵なブックマーケットを開催されている「本との土曜日」さん。

hontonodoyobi.com

 

この本を勧めてくださった「新城劇場」さん。

(近々「Book & Cafe stand」として生まれ変わるそうですね!)

新城劇場 | 屋台のある本屋

 

それから、本との土曜日に誘って下さった@emotojuriさん。

 

ありがとうございました(^^)