Art Inspirations

素人作家のメモ箱

アートと活字を愛するアマチュア作家が運営するブログ。

ジャンルを超えて、広義の「アート」から得た様々なインスピレーションやアイデアを文章で表現していきます。
絵画、彫刻、インスタレーション、音楽、ダンス、デザイン、ファッション、建築などなど。





エンデ父子の絵画と文学|ジャンルを超えて生み出されるアート

 

Merry Christmas! 

さて、クリスマスの今日、九州の実家にいる叔母から素敵なプレゼントが届いた。

叔母はとても料理が上手で、自家製の味噌やお菓子などが詰め込まれた段ボールを時々送ってくれるのだが、今回はその中に、とびきりのプレゼントがまぎれていた。

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ドイツのシュルレアリスム画家、エドガー・エンデの画集!

しかも、

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「エンデ父子展」!!「エドガーからミヒャエルへ―ファンタジーの継承」!!!これはヤバイ!!!

何を興奮しているのかというと、エドガー・エンデというのは、私の大好きな作家の一人であるミヒャエル・エンデの父なのである。つまり、画家である父と、その絵に少なからず影響を受け、世界でも名高い文学者となった息子との、奇跡のコラボ画集というわけなのだ。1989年にひらかれた展覧会で、叔母が購入したものらしい。

 

ミヒャエル・エンデといえば、『はてしない物語』(『ネバーエンディング・ストーリー』として映画にもなった)や『モモ』(時間どろぼうから時間を取り戻す女の子の話)など、児童文学が有名な作家だ。

 

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

 

私がファンになったのも、やはり子供の頃に読んだ上記2冊がきっかけだったのだが、児童文学とはいっても、大変考えさせられる深い物語で、「大人こそ読みたい児童文学は?」と聞かれたら絶対にこの2冊は挙げたい。単行本の装丁も大変素晴らしく、今も大事に大事に持っている。

 

そしてこの『モモ』の単行本の表紙と挿絵は、ミヒャエル・エンデ本人の手によるものだ。肝心の主人公モモの顔は分からず、白黒で、どこか不気味さも漂う彼の絵に、子供心にどきどきしたのを覚えている。

 

モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

一度見たらずっと脳裏に残ってしまう、不思議な力のある絵なのである。

それにしてもなぜ文字を書く作家なのにこんなに絵が上手いのか?その疑問がきっかけで、その父エドガー・エンデを知ることになった。

 

エドガー・エンデの絵画は、全体的に鈍く暗い色彩で描かれ、無機質で、心がざわざわするような不気味さが漂い、ひそやかで森閑としている。

嵐の前の静けさ、曇天、霧のたちこめた深い森の暗闇、そういうイメージが連想される。

個人的には、ジョルジョ・デ・キリコの静寂に満ちた絵とも通じるものがあるように思う。

ジョルジョ・デ・キリコについての記事はこちら↓

artinspirations.hatenablog.com 

 

また、同時期に活躍したルネ・マグリットとも似た印象を受ける。

マグリットの絵画のによく登場する、黒いハットにパイプをくわえた紳士のモチーフがあるが、それを見たときは、「あっ、『モモ』に出てくる灰色の男たちに似てる!」とドキリとしたものだ。ミヒャエル・エンデの作品に出てくるモチーフに通じるものがマグリットの絵画にあり、そのマグリットと父エドガーが同時代を生きたという繋がりには、未だに運命的なものを感じずにはいられない。

 

エドガーの絵画に、まぎれもなく、ミヒャエルは多大な影響を受けている。

それが如実に証明されているのが、『鏡のなかの鏡――迷宮』という作品だ。

 

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)

 

 

この作品は、それまでの児童文学とは一線を引く。父エドガーの絵をモチーフに紡ぎ出された、いわば「シュルレアリスム文学」だと言ってもいいだろう。

夢を見ているような不思議な物語が、合わせ鏡のように幾重にも連なり、読みながらまるでエドガーの絵画を目にしているかのように、不気味で神秘的で心がざわつく。この作品の訳者あとがきが非常に分かりやすいので引用したい。

 

『鏡のなかの鏡――迷宮』は連作短編である。鮮やかなイメージと豊かなストーリーをそなえた三十の話は、ひとつずつ順番に、大きくゆがんだ鏡像となって前の話を映しだし、最後の話がまた最初の話につながっていく。そのつながりは、論理や因果関係の連鎖というよりは、むしろ音楽の進行に似ている。この本は、三十枚の絵からなる変奏曲と呼べるだろう。エンデじしん、『鏡のなかの鏡』の迷宮は、建築としての迷宮ではなく、意識の迷宮であると言っている。

 

私はこの解説がとても好きだ。

父の描く絵画をヒントに、大作家ミヒャエル・エンデが作り上げたのは、単なる物語ではなく、それらを複雑に「設計」して意識の迷宮を具現化した、ジャンルを超えたひとつの大きな芸術作品である。

エンデ父子が丸ごと好きなのは、絵画や文学という額縁からにじみだした精神世界が互いに混ざり合い、「アート」という可能性がどこまでも広がっていく興奮が味わえるからだ。

絵画、戯曲、小説と、様々に表現の方法を探ったミヒャエル・エンデは、まさにジャンルを超えた「創作者」だった。その彼も、父エドガーなくしては生まれなかっただろう。

芸術作品にジャンルは必要ない。

エンデのように、いつか私も、広義の「アート」に類されるような物語を書いてみたいものである。

 

 

最高のプレゼントを貰ったあまりの興奮に、ろくに推敲もせずものすごい勢いで書いてしまいましたが、何卒ご容赦を。

みなさまが、素敵なクリスマスの夜を過ごせますように!